クリパルヨガの集中コースで、「尊敬する人は?」という質問を受けた時、さほど迷う事なく「父です」と答えていた。若い頃は、自分とあまりに違う父の考え方に嫌気がして、反発するような言動をすることもあった。その頃の親子関係は今でも大して変わらないのに、尊敬の対象が変わったり、尊敬することの意味が変わったりするのだと思う。
かつての自分にとって、尊敬に値する人間は、歴史上の賢人だったり本やテレビ、映画に出てくるような誰もが認める人格者だった。その後、実際に会ったことのある、「自分もこうなりたい」と思えるヨガのグルや師匠が尊敬する対象になっていた。生きていく上で自分のモデルとなってくれた人たちだ。
ところが、最近では、あれほど反感を抱いていた父親を尊敬する人と言い始めている。立派なことを実践したり語るわけでもなく、当たり前のように悩み苦しみながら年老いていく父親を見ていると、どこか心を動かされる。人間の本質は誰でも同じだ。たとえ価値観が違っていても、その本質に共感することはできる。共感し愛おしく思うことは、人を尊び、敬うことと共通したものがあるような気がする。だから、自分にとって尊敬する人は、賢人でも人格者でもなく、もっと身近で、リアルな存在として自分の心の中にいる父を選んでいるのかもしれない。
2007-07-18
カテゴリ: Toshiのつぶやき