アーユルヴェーダの日々 - 愛と慈悲のヨガリトリート

9月半ばの2週間ほど、アメリカからクリパルのシニア教師、プリティが来日していた。私は、体調を崩していて、下北でのワークショップには顔を出せず、クリパルヨガ教師向けのリトリートにも同行するか否か、前日まで決めかねていた。
リトリートの前日、プリティは我が家に一泊した。体調が悪く、何のおかまいも出来ない。情けないやら悲しいやら、複雑な気持ちで、「申し訳ない」とやっと言えた時、彼女がどんなに優しく、私に触れてくれたか、生涯覚えていたい。

彼女が体を撫でてくれた時、私のマインドは、「良くないことが起こってるから触らない方がいいよ」と反応した。そのことで、自分の体に触れられなくなっている自分に気がついた。プリティはずっと体をさすってくれて、「大切にケアしてあげて」と言うのだが、どうにもそう思えない。少しづつ、自分のあり方が見えてきた。

相談の上、リトリートへは同行し、いくつかプログラムも生徒として受講させてもらったのだが、そのひとつの「チャクラヨガ」を体験したときのことだ。
始める前、患っている部分はきっと、滞って汚くなってるんだろうなと想像していた。それが、実際やってみたら、ものすごくきれいで、生き生きとしていて、エネルギーに満ちていた。我ながら驚いて、「恐れ入りました」という気持ちになった。逆に、パワーや強さ、自分自身を司るチャクラは、閉じて、こわばって感じた。この数週間、病気を責めて、嫌いながらも、ずっとそのことばかり気にしていたから、いつのまにか「わたし=病気」になってたんだな、、、と、気づいた。

私は、体だけの存在じゃないという、ヨガの教えを思い出した。それを忘れてたんだなと気づいたら、やっと自分の体を責める気持ちが緩んで、大切にケアしようと、心から思えた。プリティが最初に言ってくれたことが、ちゃんと理解できたのは、このヨガの体験のおかげだ。ヨガは、誰かから習って、覚えて、言う通りにして理解するものではないと思う。

ヨガは、誰にでも、どんなときでも出来る。ヨガは自分の源と繋がることだ。ただそのためには、ヨガをするのはいつも、自分自身でなくてはならない。そうでなければ、どんな気づきも変容も起こらない。それを可能にするためのアプローチが、クリパルなのだと思う。

2泊3日のリトリートが終わる頃には、感じる余裕のなかった感情も十分味わって、この体験を通して、深い、強さを培っているんだと、思うに至っている。それを可能にしてくれたのは、プリティだけでなく、一緒に過ごした仲間のサンガ(コミュニティ)と、そして家族のサポートのおかげだ。

プリティ(Priti)はサンスクリット語で「愛」の意味なんだそうだ。
クリパル(Kripalu)は、「慈悲」の意味。

週末に治療を受ければ、状況は少し変わるであろうといわれている。
元気になって、大好きな、自分の支えであるヨガを、また、たくさんの人と共有したい。

2013-09-20

カテゴリ: アーユルヴェーダの日々

 

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