今年1年を振り返ると、論理的に早く判断する必要がない場合には、「感じる」ことのほうが、わたしをわたしらしく生きるほうへ近づけてくれました。現実に 起きている感覚をただ感じていると、より自由で、安らかになりました。そして、そこからどう行為するか自分で選んで、実行すると、その結果について思い悩 むことが少なくなりました。
そして暮らしの中で活かすために、もうひとつ重要だと感じたのが、感じることと、表現するつまり、言葉や表情にして人に伝えるかどうかは、別のことだとい うことです。状況によっては、人に話さずとも、ただ自分の気持ち、感覚を、自分自身がちゃんと分かっているだけで、心は安らぎます。そうなれば、起きていることに対して無意識に反応するのではなく、本当に自分がしたいことを知る余裕が生まれます。それによって、他者と自分との適度な境界を維持することができ、自他を守ることにもなると思うのです。
こうしてわたしは、PRYT中のような、居心地のよい毎日を送るには、もっと「感じる」ことが必要なのだと、はっきりと気づきました。
その翌朝、目が覚めたら、「あ、今日も生きてる。うれしいな。」と感じている自分に気がつきました。
目覚めて最初に、「××しなくちゃ」と考えて「起きるの嫌だなぁ」で始まる今までのパターンのとは、大違いです(笑)
汚れた皿や鍋を前にして、体の重さや気怠さを感じる時には、文句を言いながら嫌々・・・ではなくて、「皿洗いをしてサッパリしたい!」と体で感じてから、 Stevie Wanderの曲をかけて、踊りながらキッチンに行くという新しいオプションを試しています。(なかなかアバンギャルドで、お勧めです♬)
思うように行かないことがあっても、対応策を練るだけではなく、そこで自分が感じている感情、無力感や情けなさも感じる時間を持つことで、何を大切にしたいかを確認し、意欲的に未来に向かって善処しようという勇気が内から湧いて来ます。
いつの間にか急いで、結論を出さなければ行けないと思い込んではいないでしょうか。
時には、今にいて、そこで起きてることを「感じる自由」を持つことが、暮らしの中でもっと増えたらいいのに。
今の私にとっては、これこそが、ヨガやアーユルヴェーダ、PRYTで学んだ、より豊かに生きるための知恵のように思えるのです。
2015-10-24
カテゴリ: アーユルヴェーダの日々