春ですね。
桜の花でも眺めながら、のんびり過ごせたら、どんなにいいだろう。
…忙しい毎日を過ごしてると、そんな憧れを持つ。
でもわたし、それって以外と難しいと思うんです。
実際今、とある事情で静養中。 ※リンク先をご覧ください
食べて、消化して、排泄して、よく眠る。
それだけのことをちゃんとできるようになるために、体を休める時期なのに、すぐ何かしようとしてしまう。
ちょっと動けるようになったら、なにか作ってみたり。
こうしてMacをいじったり。本を読んだり、音楽かけてみたり、もうきりがない。
からだに痛みや不快感があると、「よくなった後」のことばかり考える。
そして、早くそこへ行きたいと無意識に願う。今の状態はもういやだ、と現状を否定する。
瞑想して「今ここにいることが一番安らかだ」とわかっているはずでも、いやはや中々むずかしい。
思うに、何か感じている時は、ただそこにいることが容易になる。それがたとえ、痛みであっても、感じてる時は何もしないで、ただ、そこに居られる。
強い感覚には、心が集中しやすいのがよくわかる。だから、感覚が微細になるとマインドが騒がしくなり、欲が出る。
試しに、ちょっと目を閉じて、身体中にあるはずの細かな感覚に注意を向けてみる。
音楽を曲としてではなく、音、バイブレーションとして感じてみる。
ふと、夫がピンチの時にいつもかけてくれる言葉を思い出す。
今回はアレンジが加わった。
「ひと呼吸、ひと呼吸。呼吸するうちに、だんだん、よくなる」
マインドが一瞬でもスローダウンすると、体がふわっと暖かくなる。
心に安らかさが戻ってくる… わたしの憧れの対象はこれなんだと思う。
花見をしながら、食べたり飲んだり、おしゃべりするのはとても楽しいけれど、ただ見て、感じる、ささやかな喜びにも触れたいと願う。
外で思いっきり体を動かしたら気持ちいいだろうなぁ。あぁ、はやく、ヨ・ガ・し・た・いーって … ひと呼吸、ひと呼吸、だってば。
2017-04-10
カテゴリ: アーユルヴェーダの日々