今日が40年の会社生活の最後の勤務日となる母から、メールが届いた。自分の気持ちを表現することのあまりない母なのに、ここまでやってこれたのは家族のおかげだと、私と妹に向けて感謝の言葉が綴られていた。
子どもの頃、母の不在を寂しいと感じた記憶が思い出される。
会社の電話番号を暗記していて、どうしてもの時は電話することができたのが、ありがたかった。声を聞くだけで安心した。
大学を卒業して、会社勤めをはじめてすぐの頃、なかなかバイト気分の抜けない私に、仕事というのは、そんなものじゃないと厳しい顔で話しくれたことも思い出す。
今、子どもを持ち、妻という立場にあっても、仕事をすることへの肯定感を保っていられるのは、母の姿を見て来たことも、手伝っていると思う。
母からのメールを読んで、改めて、子どもであった自分が感じていた強い気持ちを思い出す。子どもは、色々感じながらも、親のことを大切に思ったり、助けたいと思ったりしているものなんだよね。
母へ長くなりすぎないメールを返したけれど、私の気持ちを受け取ってくれるだろうか?
ccでいれた妹も、そういう姉と母とのやり取りを、どこかくすぐったく感じて困ってるんじゃないだろうか?
近い存在だからこそ、大事なことはなかなか伝えられないと思うけれど、今日最後の勤務に向かう前に、メールを送ってくれた母に、改めて偉大さを感じる。
いつも家族の要であった母の誕生日は、母の日とほぼ同じ頃に来る。今年はどんな風にしてお祝いしようか?まだ考えあぐねている。
2014-04-28
カテゴリ: アーユルヴェーダの日々