思い込みに囚われたり、感情に巻き込まれないことで、周囲の状況は変わらなくても、自分の主観的見方が変わることはよくありますし、ヨガでも心の苦悩は本人の心の問題だと言います。
しかし、すべての苦悩の原因が心だとしても、周囲の状況に無関心でいられるでしょうか?例えば、社会の不正や差別が心に苦悩をもたらすことはいくらでもあります。
以下は、心の反応と行動についての興味深いビデオです。不等な扱いを受けたサルがどんな行動を取るかを報告したものですが、サルが不快感を表す様子が1:30経過付近から始まります。
2匹のサルが石を差し出す対価として、最初の1匹のサルにはキュウリを与えると満足して食べます。しかし、もう1匹のサルにはキューリでなく同じ対価としてグレープが与えられていることを見ると、不満を抱き始め、それ以降、キュウリ与えようとしても怒って放り投げてしまいます。
これがサルでなく人間だったとしたら、例え不等な境遇でも、多少のことであれば冷静に対応しようとするかもしれません。それは、私たちには本能や感情を適度にコントロールする理性があり、「いい人」でいたいと願ったり、周囲からもそのように認めて欲しいという欲求があるからでしょう。そうすることで、私という自意識(エゴ)が安心していられるからです。社会の調和を保つためにも、また、自己の内面的な安らぎのためにも、それはある程度必要なことでしょう。
人生の処世術を教えてくれるヨガでも、基本はまず自己をコントロールすることから始まります。それによって、ある程度の心の乱れは静まり、冷静に生きることができるからです。しかし、さらにヨガの練習を続けると、コントロール下で起きている動物的な身体感覚や感情にも敏感になります。ときには意識の奥深くで心が抑圧されていることにも気づくかもしれません。コントロールしようとする理性の力と本能的に吹き出す強い衝動との狭間で摩擦が生じ始めます。ヨガの経典『バガバド・ギータ』のテーマでもあるように、人間の本質的な苦悩は、この心の中で起きる対立にこそあるのかもしれません。
問題はこの内面的対立にどう対応するかです。その対立を直視することはときには不安なことだったり、辛いことだったりします。しかし、それを無視することなく、抑圧された心の不満や怒り、不安や葛藤、苦しみや悲しみなどを含めて、しっかりと観察し、受け止めれば、自分の人生でそれが何を意味しているのかを知る機会になるかもしれません。また、例えば社会の不正や差別が、どのように人間の心のあり方から生じるのかを理解する機会にもなるかもしれません。
もしかしたら、理性でコントロールされた内面的な調和だけではなく、外部状況の変革や社会と自分との関わり方に「変化」が必要だと気づくかもしれません。また、心の本質的な原因は自分自身の問題だと自覚していても、そのことと自分の生まれ育った家庭環境や社会環境との関連にも興味を持ち、自分の人生を広い視野から理解する機会になるかもしれません。
心の対立と周囲との関わりを理解したら、そこからどう行動するかは、私たち一人ひとりの知恵にかかっています。嫌なことがあれば、サルのように露わに感情を表現し行動することもできるでしょう。しかし、そのような衝動的な行動ばかりでは、社会に混乱を招くかもしれません。また、社会の不正や差別による苦悩を無視したり抑圧すれば、心理的バランスを崩すかもしれません。どこに答えがあるかは、その時々の状況によって違うでしょう。大切なことは、自分の心の問題をそれだけのこととして単独に探求するのではなく、その探求の領域に周囲との関連性を含めることを忘れないことだと思います。
2016-11-30
カテゴリ: ちょこっとヨガ講座