アーユルヴェーダの日々 - 動物園での新しい体験

先日、子どもを連れて動物園へ行った。見たい映画があって出かけたのだが、開演時間に間に合わず入場不可と言われ、仕方なく。

私は、動物園はあまり好きではない。しかし子どもは初めての動物園にはしゃいでいた。ライオンが骨付き肉をしゃぶっている。象は二頭いるようだったが、うち一頭は餌場(人前)にでるのを嫌がっていると案内がでていた。動物園は広く、天気もよくて気持ちいいのだが、動物のいるスペースは、あまりに狭く、野生がほとばしる瞬間もなく、やはりサバンナで生きることと、動物園で生きることについて考え始めて、私はすっきりしない気持ちになっていた。だから嫌なんだよねー、なんて思い、子どもに自分の気持ちを話し、3歳の子が何を思うか聞いてみたりした。子どもの視点は斬新で、それについて一緒に考えるのは、とても面白かった。歩き疲れた子どもを背負って帰るころ、あることに気がついた。

嫌だから行かない、そう思っていた動物園に行ったら、やっぱり不快な感情は沸いて来た。しかし、そばにいる子どもと一緒に何かを体験し、感じて、そのことについて話すうち、動物園に居るという事実は以前と同じでも、そこで起こる体験は違ったものになっていた。

ちょうどヨガや瞑想の体験を誰かとシェアする時と同じような感覚だ。私は物悲しさや罪悪感だけでなく、不思議さや喜び、安堵といった様々な感情、風の冷たさや太陽の暖かさ、売店の焼きそばの塩辛さ(笑)などいろいろなことを体験したことに気がついた。そして、それらすべてが混ざりあい、私と子ども両者にとって、かけがえのない1ページを彩っているように思えた。

誰でも、過去の思いや記憶、経験に影響を受けている。そして、「不快」を避け、「快」に執着する。しかし、感情や感覚は起きて、変化し、いつかは消える。そのプロセスの中にあえて居て、それに気づいているというあり方でなら、私はこの先、自分が苦手だった場面に出くわしても、今までと違う新しい感覚で入って行けるかもしれない。ヨガや瞑想で培おうとしている「気づき」は、そこでこそ本当に、活用されるのではないか。

不快を避け続けて、不自由になるよりも、快も不快も十分に味わって、仲間や愛する人と分かち合い、泣いたり笑ったりするーそれが私にとっての豊かな人生のビジョンであるようだ。今まで動物園に行って、そんな思いが沸いたことはなかった。

2012-02-24

カテゴリ: アーユルヴェーダの日々

 

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